2009年9月9日水曜日

割り切り恋のお話 ドキドキ編

陽は結局、来た道を戻って大きな通りまで出ることにした。大声でひどい悪態がついても平気なほど、このレンガ調の似たような街並みには人っ子ひとり通っていない。延々と道に迷うより、誰かに訊いたほうが早い。
「方向感覚には、自信があるんだけどな~。」
 ブルゾンの袖を持ち上げ、時計を見ると、デジタルの表示は11時10分を示していた。朱里によると、店は11時オープンだ。
「開店しちまったかー・・・。」
 早く家にも帰りたいし、朱里のためにもその限定ケーキを手に入れないと困る。

「参加者全員、持ってくるものが決められてるの。もし、持ってこなかった場合は罰ゲームだからね!」
 朱里の言い出しそうなことだ。彼女は、こういうイベントを盛り上げる術を心得ている。人を惹きつける不思議な魅力を持つ母のすみれに似たのだろうか。
 朱里は、普段から愛のムチ(?)とばかりに自分を虐げている陽への逆襲の機会と言わんばかりに、ホームページも住所も公開されていないケーキ屋の担当にしたのだ。ここでケーキを買って帰れず罰ゲームなんてことになったら、何をさせられるか分からない。

 大通りに着き、陽があたりを見回したちょうどその時、向かいの道から歩いてきた女性が陽の顔を見てピクッと目を見開いたのが分かった。
 知り合いか、それとも・・・?
182cmの身長で金髪碧眼、顔の作りは母に似て美形の陽は、道を歩いているだけで逆ナンされることも珍しくない。自惚れているわけではないが目立っている自覚はあるので、その女性がすたすたと陽の方へ歩いてきても気にしなかった。
「こんにちは」
 その人は、しっかりとした声で会釈をするとそのまま通り過ぎていった。周りを見渡すが、近くに自分以外の人はいないので陽に挨拶したのは間違いない。
 どこかで会ったっけ・・・?
後姿を追う陽の目に飛び込んできたのは、その女性・・・ではなく、その手に握られた紙袋だった。赤い文字ではっきりと、目指す店の名前のロゴが入っている。
「すみません!!」
 すでに3mほど先を歩いていた女性との距離を一気に縮め、彼女が振り向くより先に肩を掴む。
「三島さん」
 160cmに遠く満たない身長から陽を見上げた顔は二十歳そこそこ、まっすぐでセミロングの髪にくりくりとした栗色の瞳。
 リスみたいで愛嬌のある顔立ちに、見覚えがあった。
「あの、うちの会社の子だよね?えっと・・・木村の彼女の。」
 陽がよく相談に乗っている新入社員・木村の、同期の彼女だ。いつか、柳部長に強引に連れて行かれた飲み会で、隣に座ったのを思い出した。
「はい。中谷桜子です。・・・良かった~!三島さん多分覚えてないだろうなあ~って思って、挨拶して不審がられないか心配しちゃいました。」
 桜子は、冗談ぽく笑った。ペこっと、えくぼがへこむ。
「覚えてるよ。ところで、その店なんだけど・・・」
 桜子が手にしている紙袋を指差す。桜子は、あぁと呟いて
「ここ行くんですか?良かったら、案内しましょうか」
 と、陽が頼む前に快諾してくれた。
桜子が案内したその店は、陽が彷徨っていた道から一本横に入った通りにある、一見普通の民家だった。趣味が高じて販売してます、といった雰囲気で、看板すら出ていない。
「ここじゃあ、わかんねえなあ。」
 家の前の小さな黒板に「Open」と書かれているだけだ。
「ですよね。私なんか、一度下見に来ちゃいましたもん。」
 桜子が、うんうんと頷いている。
「へえー。スイーツ、好きなんだ?」
「ええ、それはもう。」
 さらに深く頷く桜子。
朱里と気が合いそうだな・・・。
 どんなに小さな店でも、どこからか評判を聞きつける人はいるもので、店の庭には15人ほどの列が出来ていた。20分ほどで、やっと陽の番になったものの・・・。
「ええ!もう売り切れちゃったの!?」
 開店から30分で売り切れって・・・。どーゆーことだ?
「すみません、クリスマスショコラは限定40個でして・・・。」
 若い女性の店員が、困り顔の陽に本当に申し訳無さそうに頭を下げる。
「うーん・・・。しょうがないか、他のにします」
 これで、罰ゲーム決定か・・・。
限定のショコラだけでなく、ホールタイプの生ケーキはすべて完売となっていた。ホールのパウンドケーキはあるが、これだとクリスマスの雰囲気すら出ない。
 陽は、ホールケーキを諦めてカットケーキを買うことにした。キャンドルだけはつけてもらって、何とかみんなには許してもらおう。
「じゃあ、下の段のカットケーキ全種類、ひとつずつもらえますか?」
 陽の注文に、横で見守っていた桜子からヒッと息を呑む音がした。
「ぜっ、全種類・・・」
「かしこまりました。えーっと、全部で12個になりますが、よろしいですか?」
 店員は、訊くそばから大きな箱をパリッと組み立てている。
 もしかしたら出席人数に足りないかもしれないが、これからもう一軒、頼まれている店でゼリーを買う予定だったし、足りなければ自分が遠慮すれば良い。
「はい、それでいいです。」
 色とりどりに美しくデコレーションされたケーキが、箱に次々と詰められていく。じっと店員の手元を見つめていた桜子から、ごくりと唾をのむ音が聞こえた。
 大きな箱を手に陽と桜子が店を出ると、陽は堪えていた笑いを解放した。
「くっくっ・・・桜子ちゃん、本当にケーキが好きなんだね・・・。」
 目をまん丸にしてケーキを見つめるその形相といったら・・・。熱視線で、生クリームが溶けてしまいそうなほどだった。
「だって・・・スゴイです。全種類なんて!三島さん、太っ腹です。」
 ありえない、というように首を振る桜子。
「パーティーだから、こんくらいでちょうどいいんだよ。ホールで買えなかったし。桜子ちゃんは、何買ったの?」
 桜子の紙袋に視線を向けると、桜子は申し訳なさそうにうつむいた。
「クリスマス・・・ショコラです」
「おまえかっ!」
「きゃー、す、すみません!!」
 目をギュッと瞑って、ありえないほど深くお辞儀をする桜子。
「ウッソだって。下見までして、きっと早くから並んでたんだろ?オレも、来年はもっと前もって準備しとかないとなー。」
 背後から車が来たので、桜子の腕をぐいと引っ張って歩道側にやる。桜子が驚いたように陽を見上げたが、陽のほうこそ、あまりに軽々とした桜子の体に驚いた。
 身長が低いと、こんなに軽いのか。
蒼衣は、細すぎるほどほっそりとした体つきをしているが、タッパがあるので桜子のようには持ち上がらない。
 ・・・まったく。
陽は、気がつけば蒼衣のことを考えている自分に苦笑した。
「三島さん」
「うん、何?」
 陽は、上がった口元をスッと元に戻す。 
「あの・・・。良かったら、ケーキ、交換します?」
「え!?」
 自分より25cmほど下にある顔を見ると、桜子が真剣なまなざしで陽をじっと見上げていた。

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